コンスタンティン

(2005年 / アメリカ)

この世には、悪魔や天使が宿った人間が生息しており、私立探偵のジョン・コンスタンティンは、彼らを見分けることができる。死後、自分が地獄へ送られる運命にあると知った彼は、悪魔を倒すことで、天国に行こうと目論むのだった。そんなジョンのもとに、双子の姉妹を亡くした刑事アンジェラが現れ…。

悪魔と共生は可能か

コンスタンティン

「悪魔」って聞くと、どうしてもRPGの世界を思い浮かべてしまいます。特に、中ボスやラスボスといったストーリーの要所で登場する敵は、まさにこれぞ悪魔といった姿形をしていて、画面を通して強い恐怖や憎悪が伝わってきます。その姿形は、たいてい牛とかヤギとか竜の格好をしていて、頭に鋭い角が生え、目は真っ赤に燃え、手には三叉戟(先端が3つに分かれた槍)を持ち、背中にはコウモリみたいな翼、手足にはなんでも切り裂きそうな爪が生えている。倒すにしても、向こうは最上位の呪文を唱えたり炎を吐いてきたりするので、きちんと対策を練らないとパーティーの回復に追われることとなり戦術が後手に回り、結局やられてしまう。バランス調整おかしいんじゃないのって毒づきつつ、レベルを上げたり装備を整えたりして再挑戦するはめになるわけですが、同時に、彼らのことをゲームそっちのけで実生活から排撃すべき「悪魔」として忌避するようになるのです。そう言えば、そういうボス戦で流れてくるBGMってどこか宗教的な趣きのあるのが多いですね(特にファイナルファンタジー)。やはり作り手側も意識しているのでしょう。

このように、悪魔とはたとえバーチャルの世界でも悪役にしかなり得ない存在であることはわかりましたが、実際の悪魔とはどういう位置づけのものなのでしょうか。調べてみると、一言で言い表すと「この世の悪の人格化」とのこと。キリスト教では、この世界は絶対的善の神によって導かれているのですが、この世に悪徳や退廃がはびこる原因を悪魔のせいにして、唯一神としての宗教的権威や正当性、完全性を守ろうとしました。悪魔はたくさんいます。理由としては、旧約聖書や新約聖書には異教の神がたくさん登場し、後世の聖書研究者はそれを総じて悪魔と断罪して悪徳や退廃の原因としたことがひとつ目。ふたつ目は、旧来の宗教を捨ててキリスト教に帰依した人たちが、旧権威を否定するために前に崇拝していた神様を悪魔にしたため。あと、聖書を解釈するときに出てくる矛盾点や意味不明点を説明するのに、悪魔のせいにするのが簡単だったというのもあります。魔王サタンをはじめ、堕天使ルシファー、堕天使アザゼル、魔王マステマ、闇の天使ベリアル、蝿の王ベルゼブブらが主力だそうです。ダークファンタジー系のゲームや小説ではおなじみですね。

こうして悪魔のことを調べてきましたが、どうも僕ら日本人、特にキリスト教とクリスマス以外縁がない人たちにとって、「悪魔」と聞いたところでゲームの中の存在でしかないと思います。だって、悪魔はバーチャルの世界で討伐するものであって、実生活において恐怖の対象となるものではないからです。これは仕方のないことだと思います。単に信仰上の理由と言ってしまえばそれまでですが、日本人が歴史的に戦ってきた相手は台風や地震、津波などの自然災害。キリスト教徒と違うところは、自然災害を悪魔として敵視するのではなく、被害を出しながらも受け入れ上手に付き合ってきたことではないでしょうか。そうした歴史が日本人を築き上げていったのであり、いまの僕らがあるわけです。キリスト教にこの発想があるのかわかりませんが、異教の神を悪魔に仕立て上げて自身の正当性を確立したなんて経緯を知ると、受け入れるなんてことはないのではと考えてしまいます。もしそれが本当なら、キリスト教徒にとってこの映画は自身の内面との戦いである一方、僕みたいな非キリスト教徒には単なるRPGのボス戦にしか見えないのかもしれません。


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