画家と庭師とカンパーニュ

(2007年 / フランス)

都会生活に疲れ果て生まれ故郷で田舎暮らしを始めた中年の画家。何年も放置された庭を手入れするため庭師を雇うことに。その求人広告を見てやって来たのは、なんと小学校時代の同級生だった。

子供時代に戻れる友人を持つ喜び

画家と庭師とカンパーニュ

高校2年の時に同じクラスになって知り合った友人がいました。友人と言っても、仲が良かったグループに偶然居合わせたといった感じの存在で、僕自身は他の友人とはよくしゃべっていたものの、その彼A君とはそれほど親近感を感じることはありませんでした。特にウマが合わないとか近づきがたい雰囲気があったというわけではなかったのですが、なんとなく直感的に気を許せない何かを感じていました。そんなわけで、A君と行動を共にする時は必ず他のメンバーと一緒の時だけで、A君とは会釈して二言三言言葉を交わす程度の間柄でふたりで行動をするということはほぼんどありませんでした。そして、進級時の席替えでグループは自然消滅し、そのうちに何人かとは交流を保ちましたが、A君とはもうそれきり顔を合わせても会釈すらしない程の他人同士になっていきました。

その後、1年浪人して大学に進学。入学式から数日後、キャンパスの掲示板で履修科目の告知を見ていた僕の背後から、おもむろに名前を呼ばれました。おかしい。僕はまだこの大学に入って誰とも知り合っていないし、教職員に知り合いもいない。まして、高校時代の友だちは誰もこの大学に入っていないはずでした。訝しげに声のした方を向くと、そこに見覚えのある顔がありました。例のA君でした。当時はそれほど仲が良かったわけでもなく、クラスが離れてからは完全に忘れていたというのに、僕はA君を見るなり即座に彼だと認識し、まるで戦地で再会した戦友であったかのように「おぉ!」と歓喜の声をあげていました。A君はそんな僕をニコニコと穏やかな笑顔で迎えてくれました。

A君も初めは驚いたそうです。まさか僕と同じ大学で、しかもあの広いキャンパスの中で偶然見知った顔を見つけたのですから。それでもすぐに僕だとわかったそうです。A君も僕と同様、高校時代はそれほど友誼を感じていなかったそうですが、あの日僕を見つけた瞬間、とても懐かしく心躍る感情に突き動かされたとのことです。それは単に見知らぬ土地で知った顔を見つけた安心感というより、もっと心強い気持ちでした。これはA君に聞いたことではありません。僕自身がそう感じたし、A君もそうだったと確信できたからです。

それからというもの、僕とA君はしばしば会って高校時代や浪人時代、なぜこの大学を選んだか、何を勉強するのかなどを語り合うようになりました。かつて距離を感じて避けていたことなどウソのように、A君と語りながら笑い、語りながら飲み、夜を徹する日もありました。それは、まったく新しい環境だったせいなのかわかりませんが、まるで僕らは高校時代にできた両者の隙間を埋めるかのように語り合い、初めて互いに友人であることを認め合ったのでした。しかし、いつしか彼がサークル活動で忙しくなり、次第に会うこともなくなり、そのまま二度と会うことはなくなってしまいました。

この映画はまさにこうした感じの作品でした。田舎で暮らしている画家が、草が生え放題となっていた庭を手入れするため庭師を求人したところ、小学校時代の同級生がやって来た。思わぬ再会に驚きつつも、ふたりは子供時代の思い出話に花を咲かせていく。という展開が最後まで続きます。ふたりはいつの頃まで友人同士だったのかはわかりませんが、ふたりのリアクションからは友人だったのは小学校時代までではなかったのかという気がします。だから、会話に屈託がないし、実に子供っぽい。傍から見れば「いい大人が」と眉をひそめるところですが、彼らにとって無上の時間であったことは間違いありません。友人関係が子供時代のまま止まっていて、年齡は重ねたにせよ、ふたり一緒にいるときは小学生のままだったのです。

友人を再発見するタイミングに至るには、禊の期間が必要なのかどうかはわかりません。でも、もし僕とA君が小学校時代に知り合っていて、大学生になって同じようなシチュエーションで再会したとしたら。この映画の画家と庭師のように、幼稚だけどしがらみの一切ない友人関係になれていたのかなと、ふと考えてしまいました。


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