ノーカントリー

(2007年 / アメリカ)

アメリカとメキシコの国境地帯を舞台に、麻薬取引の大金を巡って凄惨な殺戮劇が繰り広げられる。

殺人を仕方ないで済ませてしまう現代社会

ノーカントリー

いまはもう読まなくなってしまいましたが、僕はかつて「名探偵コナン」のファンでした。アニメはたまにという頻度でしたが、コミックのほうは50巻くらいまでは集めていて、好きなエピソードは何度も読み返していたものです。ただ、最初の2、30巻くらいまでは熱を入れて読んでいたのですが、だんだんとマンネリ気味になってきたせいか、読み進めるにも倦怠感がのしかかってきて、最後のコミックを買う頃にはかなり惰性的となっていました。長期連載している作品なので次第に飽きが回ってくるのは仕方ないことではあるのですが、僕が特に閉口したのは以下の2点。ひとつ目は、セリフが非常に長いこと。事件のヤマ場とか謎解きのシーンは特にそうなんですが、吹き出しの中身目一杯使って活字が所狭しと詰め込まれていて読むのに疲れてしまいます。というか、漫画という媒体なのに、絵で説明しないでなんで活字でなんだろうと疑問を抱き始めるや、一気に萎えてきてしまったのを覚えています。トリックが複雑だということはわかるのですが、さすがにページをめくって字ばかりというのは、漫画好きを唸らせることにはならないはずです。

そして、もうひとつが「殺人の動機」。最初のほうはあまり気にならなかったのですが、「仕方なかったんだー!」という、ほぼ作者の投げやりとしか思えない話のまとめ方の連続には正直呆れました。どう考えても迷宮入りとしか思えない事件を発生させて、そこに都合よくコナンが巻き込まれて事件を捜査していく。ここまでは面白いんです。探偵の素質ゼロの僕にとって、こんな難事件絶対に解決するはずがない、漫画だから犯人は見つかるとわかっていても時効を迎えて未解決で終わるのではないかと思って焦燥感を覚えるほどワクワクするんです。でも、コナンが「はは~ん」としたり顔を浮かべ「犯人はあの人だ!」と勝利を確信してからがウザい。先ほどの活字の本流がスタートするのもそうなんですが、毛利小五郎を眠らせて謎解きをしてから、真犯人が観念して負け惜しみを叫ぶところがいちばんの興ざめなんです。「仕方なかったんだー!」と叫びたくなるのはわかりますが、その動機があまりに単純。フラれた、出世を追い越された、クビになった、いじわるされた。僕が聞きたくない以上に、迷宮入り必至の難事件を組み立てた本人がいちばん言いたくないセリフなのかもしれませんが。

とはいえ、実際の凶悪事件の動機もこうした単純なものばかりです。調べによると、殺人の動機でもっとも多いのが「怒り」で、いわゆる「カッとなってやった」というやつ。その次に怨恨、痴情のもつれと続きます。こう見てみると、計画的殺人とは無関係な突発的犯行であることがわかります。たしかに、これらの要因は突発的でなく、負の感情が積もり積もって爆発した、あるいは犯行の決意を促したと言えると思います。ただそれでも、犯行時に冷静でいられるはずがなく、瞬時に誰にも解けないトリックを組み立てることは不可能です。指紋や血痕を拭き取るとか、死体を誰も来ない山中に埋めるとかは考えられますが、よっぽど警察が怠慢でないかぎり、日本で完全犯罪はできないと言われています。結果的に「仕方なかったんだー!」とは叫ぶんでしょうが、その対象は犯罪を犯したことのほか、逮捕されたことについても同じだと思います。名探偵コナンの真犯人は人間らしい人間だと言えなくもありません。

この映画のメインキャラクターは、殺す人、殺される人とに別れます。殺される(正確には殺されようとしている)人には殺されて仕方ない理由があります。いや、むしろ、殺される原因を自分自身でつくって確実に助かる道を模索しようとしない。それに対して、殺す人は何のために他人を殺すのかが見えない。殺すにしても完全犯罪を目論むのではなく、淡々と無表情でターゲットを仕留めていくだけ。はっきり言ってよくわかりません。殺す人は本当にその人を殺さなければならない動機があるのか、また、殺される人はなぜわざわざ殺されそうな方向に向かっていくのか。その不条理に気づき嘆いていたのが老保安官だったのでしょうが、たぶん彼自身もこの世相は「仕方なかったんだー!」と思うほかないと悟っていたのでしょう。名探偵コナンは、ある意味、人間が人間らしさからずれ始めていることの警告を発していたと考えられなくありません。


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