この森で、天使はバスを降りた

(1996年 / アメリカ)

5年間の服役を終えたパーシーが、新しい生活の地に森の奥の田舎町ギリアドに降り立った。気難しい年寄りハナが経営する村の食堂で働くパーシーの、魔法のようなアイディアが小さな村に変化をもたらす…。

心の深い闇に降り立った天使

この森で、天使はバスを降りた

この映画の主人公は、いちいちDVDパッケージのあらすじを読み返すまでもなく、パーシーという女性です。殺人を犯した罪で服役していた刑期を終えたパーシーが、メイン州の森の中にある田舎町ギリアドで人生の再出発をするところから物語は始まり、よそ者を警戒する町の人との触れ合いやぶつかり合いが描かれていきます。少女期からのトラウマにより対人的にぶっきらぼうでありながらも、それでいて人恋しさや愛情への渇望を次第に滲ませていくパーシーの姿は、再出発へのかすかな希望と過去との決別を心の奥底に感じさせるものでした。その弱々しくも健気で無垢な意志に、観終わった後も感動で心揺さぶられ続ける方が多いんじゃないかと思います。決して癒やすことのできない深い心の傷を負ったパーシーがまったく縁もゆかりもない町ギリアドにやって来て、そこで知り合った人たちの閉鎖的な町ゆえのわだかまりやもどかしさを吸い込みつつ、自らの魂を浄化することのできる居場所を見出していく。ラストは決してハッピーエンドではなかったけれども、パーシーはギリアドの人たちに生命力を振りまいたのと同じくらい、映画を観た人にも胸の中を温かくするメッセージを伝えた主人公であったと思います。

というわけで、パーシーは主人公として適格。なのですが、僕にはどうしてもこの映画の主人公がパーシーであるように思えませんでした。いえ、正しくはパーシーを主人公として認めてはいたものの、別の登場人物により感情移入してしまい、そちらのほうこそ主人公であると思わせたいという強制力が僕の心の中で生じたからと言うべきでしょう。その別の登場人物というのが、パーシーの寄宿先であり映画の舞台でもあったレストランの女主人ハナ、ではなくハナの息子イーライ。映画では戦争(ベトナム戦争)に行ったきり帰ってこないという設定でしたが、彼は実はギリアドに戻ってきていて深い森の中でひとり誰とも接することなくひっそりと暮らしていたのです。ひょんなことからパーシーと出会い、彼女からの問いかけに答えることはありませんでしたが、彼女が自分を町に引き戻しに来たのではないということを悟ると次第に彼女を受け入れ、やがて元の生活へと戻る決意をするのです。

ところで、日常とはかけ離れた強烈なストレスによって、心に深いトラウマ(心的外傷)を負った後に発症する心の病気のことを「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」と言います。発症すると自分の力ではコントロール出来ないような激しい恐怖や不安が襲いかかってきて、外出しようとするとパニック障害のような状態になってしまったりしまうのが特徴。実際には何の危険も差し迫っていないのに、また何かを恐れて逃げたり隠れたりする必要はないのに、どうしても湧き上がってくる強烈な恐怖や混乱から逃れることができず、部屋の中からなかなか外に出られないといった状態になってしまうのです。このPTSDの病理研究は、ベトナム戦争に参加したアメリカ人兵士の悲惨で残虐な戦争体験による後遺症の研究によって始まりました。ベトナム戦争から無事帰還したアメリカ兵の中に、不安や恐怖、睡眠障害、幻覚様症状、フラッシュバック(過去の外傷体験を生々しく思い出すこと)といった精神症状の苦痛を訴える人が大勢現れたためです。

映画では詳しく触れられてはいませんでしたが、イーライはまさにPTSDの症状を抱えていたと思います。ベトナムでの凄惨な戦場を駆けまわっているうちに受けたストレスは、帰国した後も彼の心を蝕み続け、もう人間同士の集団生活はできないくらいに重いものだったのでしょう。そのため、イーライは人里離れた森の中でひとり生活するようになったのだと思います。町の人たちからは死んだと思われ、母親のハナだけは気にかけてはいたものの町の中の世間体を気にして無理にでも忘れようとしている。そんな中、パーシーが現れ、まさに周囲の大自然と一体化したかのような自然体で接してこようとする。彼女の存在こそがイーライの心を開かせていったのだと思います。パーシーを「天使」と形容するに過ぎることはありません。閉ざされた心を温めてくれる存在。僕もそんな天使にいつか出会えるのでしょうか。そんな心理状態なので、無意識のうちにイーライと僕自身を重ね合わせていたとしても無理はありませんね。


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