幸せはシャンソニア劇場から

(2008年 / フランス・ドイツ・チェコ)

1936年パリ。下町の人々から愛されるミュージックホール・シャンソニア劇場は、不況のあおりで不動産屋に取り上げられてしまう。劇場の従業員・ピゴワルは仲間と劇場を取り戻そうと、美しいドゥースの歌声を頼りに再び公演を始めるが、頼りの彼女もすぐに去ってしまい、劇場は風前の灯火に…。

歌は国家そのもの

「シャンソン」と聞くと、日本で言う歌謡曲とか演歌とかの年配者向けの懐メロのことなのかなと勝手に思い込んでいました。ですが、調べてみたらそもそもシャンソン(chanson)はフランス語で「歌」を意味し、特定ジャンルの楽曲を指すものではないとのこと。では、現代も含めたフランスの歌は、押しなべて軽快なアコーディオンの音色に乗せた伸びやかな歌声のものかというとそうでもないわけで(詳しく知っているわけではないですが)、ポップもありロックもありデスメタルだってあるでしょうから、たとえシャンソンが歌そのものを表す語句だとしても、僕ら非フランス人にはシャンソンはフランスの音楽の一形態という捉え方をしたほうがわかりやすいですね。

では、シャンソンとはどんな音楽なのでしょうか。その始まりは9世紀頃とされ、教会の修道士や司祭がより親しみやすい伝道歌を創ろうと思いついたことにより、881年の「聖女ウーラリーの物語」が最古のシャンソンと言われています。その後、街の辻々で吟遊詩人たちが自作のシャンソンを披露。恋の歌や鋭い時事風刺、エスプリを利かせたシャンソンが次々に街にあふれるようになりました。その特徴は、「シャンソンは一編の短いドラマである」と言われるように、歌詞が物語性を持っているものが多いこと。歌詞には日常会話が使われたり、時に隠語を交えて綴られることもよくあるようです。歌い手は自分の個性を活かし、シャンソンを「演じ」、そして「歌う」ことで、作曲者とともに歌に生命を吹き込む人となるのです。このあたり、日本の演歌に通じるところがあるように思えます。

代表的なシャンソンに、「愛の喜び」「枯葉」「パリの空の下」「ラ・メール」「愛の讃歌」などがあり、YouTubeで探して聴いてみると、インストゥルメンタルで聞いたことがあったり日本語訳化されてて日本の歌かと思っていたものまで、意外にも身近な音楽だったことに気づきました。昔の歌だからといっても古臭さを感じることもなく、聴いていると、決して好戦的だったり悲惨なメロディーではなく、気持ちが落ち着いてきて優しくなれそうで、現代の下手くそな流行歌手の歌声などよりよっぽど音楽としてのクオリティーが高いです。ちなみに、よくパリの公園や路上などで見かけるアコーディオン伴奏のアンサンブルは、ミュゼットと言うそうです。

この映画の舞台は1936年という戦間期であり、フランスにとっては強大化しつつあるナチス・ドイツの脅威、そして国内に蔓延る共産主義の浸食という不安定な時期にあたります。そんな中で、シャンソニア劇場は殺伐としている世情に倦む民衆たちに一時の清涼感をあたえようと、モノマネや漫談などで観衆を沸かせますがついに資金繰りがつかず閉鎖。その後、元従業員のピゴワルを中心に買い戻し再スタートを切ることに成功。しかし、かつて大ウケだったプログラムは飽きられてしまい、観客はひとりまたひとりと消えていきました。そんな中、彗星の如く現れたのが、新人女性歌手のドゥース。彼女の歌声は伸びやかで艶があり、たちまち観衆の心を鷲掴みにし彼女は一躍劇場のスターとなりました。ですが、観客の減少は一向に収まらず、芸人はドンドン辞めていき、ドゥースも引き抜かれてしまいました。それでもピゴワルがめげずにいたわけは、引き離されてしまった一人息子で天才アコーディオン奏者のジョジョといつか再会するため。ですが、息子に会うことは許されないまま。ピゴワルはどんどん追い詰められていきます。

劇場を救ったのは戻ってきたドゥースでした。ドゥースの歌声は観客を魅了し、劇場の芸人たちも観客が求めているものが何なのかに気づきました。僕は「音楽は世界を救う」とか「no music, no life」とかに賛同するほど音楽に依拠しきってはいないのですが、音楽が生み出す演奏者とオーディエンスとの一体感は素晴らしいと素直に思います。人それぞれ音楽の嗜好は違うわけですから、ロックを聴いて一体感を得る人得ない人、演歌を聴いて一体感を得る人得ない人、デスメタルを聴いて一体感を得る人得ない人というのは当然あり得るわけですが、誰が聴いても心躍り胸が熱くなってくる、そういう音楽こそ国民を一体化するのであり、国民は国民としてのアイデンティティを再確認するのだと思います。こういう劇場がすぐ近くにあればいちばんいいのですけど、もっと大事なのは歌い継がれる国民的歌謡を絶やさないようにすること。日本に歌声喫茶というのがありますが、年配の人だけでなく、あらゆる年齢層が気軽に入れる場所だったらいいのにとの感慨を深くしてしまいました。


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