キング・コング

(2005年 / アメリカ)

1930年代、世界大恐慌下のニューヨーク。失敗作続きの映画監督カール・デナムは、脚本家のジャック・ドリスコルや失職した女優アン・ダロウらを言いくるめ、どこからか入手した地図に描かれた謎の島『髑髏島』を撮影すべく、密輸船ベンチャー号で出航する。

怪獣映画に込められた意図

結論から言えば、とても面白い映画でした。「ジュラシックパーク」をほうふつとさせる圧倒的な映像表現と、シンプルなストーリーの中にも人間と獣の心の結びつきを表現した巧みな演技力など見どころは非常に多く、3時間という長尺ですがもうちょっと長くても良かったなというのが本音です。この作品は1933年にアメリカで上映された初代のキングコングをリメイクしたものですが、監督のピーター・ジャクソンはこの初代キングコングに感銘を受けて映画監督を目指すようになったというだけあって、作品に対するリスペクトにあふれており、初代を知っている方には「懐かしさ」よりも「映画に対する愛情」のようなものを感じたのではないかと勝手に思っています(興行成績の面では期待したほどではなかったようですが)。別に映画に限ったことではありませんが、完全新作の脚本にパンチ力がないということで、まるで埋蔵金発掘のごとく過去のヒット作を掘り起こしてリメイクする動きが頻繁に起きるものの、結局大コケで終わるケースがほとんどだということを考えると、今回のキングコングは成功の部類に入るのではないかなと思っています。というのも、1933年当時に「キングコング」をリアルタイムで観た人が2005年版も劇場に足を運んだとは考えにくく、レジェンドと化し(懐古的な意味での)ピーター・ジャクソンによって再び魂を吹き込まれた「キングコング」を初めて劇場で観た人がほとんどだったと仮定すれば、アメリカ人の心の中にある“誇りある怪獣映画の元祖”を呼び起こしたというだけで僕は成功だったと思うのです。

このアメリカ人にとってのキングコングと同様の存在が日本にもありますね。言うまでもないとは思いますが、日本怪獣映画の金字塔「ゴジラ」です。東宝の製作により1954年に産声をあげ、961万人の観客動員という大ヒットを記録したゴジラは、毎年のように製作され着実に日本各地の劇場を席巻していきます。しかし、毎年公開によるマンネリ化やガメラなど怪獣映画の乱立などの影響で、1975年には観客動員は100万人を切り、シリーズの製作がいったんストップすることとなってしまいました。その後、1984年に復活し1992年の「ゴジラvsモスラ」から大ヒットが継続。1998年にはハリウッドで「GODZILLA」として製作され、日本でも360万人と好調を博しました。2000年代に入ると再び失速し、200万人前後を動員する健闘は見せこそすれ興行的に振るわず、2004年の「ゴジラ FINAL WARS」を最後に再び製作は休止となりました。と、和製ゴジラの製作は終焉かと思っていたところ、2014年の7月にハリウッド製「GODZILLA ゴジラ」が日本で公開され観客動員数218万人の大ヒット。これを受け、12月、東宝は2016年に「ゴジラ」の完全新作を公開すると発表しました。これまでも長い製作休止期間を経て復活した経緯があるので、今回も劇中のゴジラよろしく長い冬眠から覚めてスクリーンで大暴れすることになるのですね。やはりゴジラは日本の怪獣映画の象徴的存在なので、このまま消えて風化させてしまうのは非常にもったいないと思っていただけに期待したいところです。

ところで、キングコングとゴジラ、共通している点はどこになるのでしょうか。僕は両作ともまったく通暁していないので単純にイメージのみで言ってしまいますが、ずばり「破壊」でしょう。生身の人間では到底かなわない巨体とパワーを持ち合わせた両者は、圧倒的な破壊力で人間が造り上げた文明をいとも簡単になぎ倒していきます。だから、一般人は逃げるほかありません。下手に抵抗すれば彼らの怒りを買って踏み潰されてしまうので、並み居る群衆をかき分けとにかく逃げることで命を確保しなければならないのです。ただ、ゴジラについてはそれだけではないようです。佐藤健志著『震災ゴジラ!』によれば、「『日本には本土決戦をすべきだった』という強い感情があって、本土決戦を避けて終戦を迎えたのは理屈で考えれば良いことだけど、先に決戦の地となった沖縄や特攻隊員の方々に対しては、やっぱり申し開きができない。だから、戦場になってしまった沖縄には礼をつくすべきだ」という趣旨で、ゴジラを本土決戦(日本本土内での対米戦争)に見立てています。また、この本土決戦を経てこそ「日本は国としての筋を通せる」とも綴っています。ゴジラは単に野蛮な獣性で都市を破壊していたわけではなく、佐藤氏が語るように日本が敗戦後も癒やされることのなかったコンプレックス(言い方が適切かどうかわかりませんが)が表出したものと捉えることもできるのです。本来すべきだった本土決戦(ゴジラ)を戦い抜き、勝利すること(ゴジラを撃退する)で、日本は大東亜戦争敗戦から引きずってきたフラストレーションを解消させることができる。つまり、ようやく「戦後」から脱却することができるというわけです。

翻って、キングコングはどうなのでしょう。アメリカ人は劇場でキングコングを観て何を見出すのでしょうか。エンターテイメントの国ということで、単に「破壊」とだけ捉えてしまうにしてはどこか違うような気がします。また、本来住んでいた孤島から無理やり連れてきて見世物とされて怒りを爆発させたというストーリーなので、動物愛護とか環境保全といった側面もあるにはあるとは思いますが、それが第一義的な意味合いではないとも思います。それはやはり「アメリカ国民の結束」ではないでしょうか。アメリカは本土が壊滅状態となるほどの攻撃を受けたことがありません(日本軍による小規模な空襲程度)。そのため、普段はなにせ自由の国ですから、非常時ならずとも国民が結束しなければならないという集団意識が希薄になりがちです。だからこそキングコングを登場させて、超大国アメリカだって国家が崩壊するほどの敵襲に晒されることがあるという危機意識を国民に植え付けたかったと考えられます。9.11の同時多発テロがあった後、アメリカ国民はひとつにまとまりました。それと同じことを今作でも、いや歴代のキングコングシリーズは訴えてきたのかもしれません。非常に短絡的で単細胞な発想ですが、ハリウッド製映画には、国家中枢がジャックされたり地球外生命体に侵略されたりする「国難」を描いた作品が多いだけに、キングコングもテイストは違えど同列と捉えてしかるべきものを感じます。「破壊」から「理解」「友愛」へとつながる一連のシークエンスも各作品共通していると考えるのは僕だけではないでしょう。

そういえば、ゴジラとキングコングはよくクローズアップされますが、日本とアメリカ以外の国が製作した怪獣映画で世界的にヒットしたものって何かありましたったっけ。この裏には、エンターテイメントとしての完成度のほかに、日本とアメリカが戦い抜いた戦争を通じて「怪獣(モンスター)」へ託した意図が評価されたり共感を呼んでいると思うのですがいかがでしょうか。


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