ロルナの祈り

(2008年 / ベルギー)

ベルギーでの幸福な暮らしを夢見てアルバニアからやってきたロルナ。国籍を得るために、偽りの結婚をする。相手は麻薬中毒の青年クローディ。偽りの暮らしでも、孤独なクローディはロルナを慕い、彼女を希望の光に生き直そうとする。ロルナはやがてクローディを助けたいと願うが、彼女は決して彼に知られてはならない秘密があった・・・。

感性に訴えかけるには理性も必要

偽装結婚とは、夫婦として共同生活をしている実態がないが配偶者がいることの利点を享受するために結婚することを言いますが、たいていブローカーを通して外国人が日本人とする偽りの結婚を指すことがほとんどです。形式的に言うと、日本へ出稼ぎに来る外国人が在留資格と就労資格を得る目的で、日本在住の日本人と婚姻生活の実態を伴わない書類上の結婚を計画的に行うこと。これは当然のこととして詐欺行為による犯罪で、電磁的公正証書原本不実記録・同供用罪等に当たります。しかし、偽装結婚で国外から日本へやってくる外国人は後を絶たず、その大半が女性(少し前まではほぼ100%女性)。彼女らは、現地のブローカーに結構な額のカネを払い、偽装結婚および日本入国の段取りをしてもらい、時には入居先や働き先の斡旋もしてもらいます。そして日本側では、反社会勢力や、先んじて日本に入国している同郷の先人たちが、結婚相手となる日本人を用意して待っているのです。ここまでして日本に来る理由はひとつ、「貧しい国から豊かな国へと移り住むため」です。

現在、日本の入国管理局や警察は偽装結婚に対する取り締まりを強めていて、外国人と日本人が夫婦となることを簡単には認めていません。そのため、日本ではなく、相手方の国において結婚式を挙げて婚姻の手続きをとるケースが増えているとのこと。その時の婚姻証明書をもって日本の役所に届けるのですが、他国の政府が証明している婚姻を一都市の役所レベルで疑って不受理とすることはなかなかできないという盲点を突いていることからもわかる通り、偽装結婚の手口は巧妙になってきているのです。偽装結婚を足掛かりに日本に入国し、目的を果たしたら(在留資格と就労資格を得たら)日本人の配偶者をポイ捨てするのは当たり前で、その後に自国の恋人を日本に招いて結婚・出産することで日本において「偽装ではない」家庭を築く新たな手口も確認されているというのですから開いた口が塞がりません。警察庁の発表によると、平成25年の偽装結婚の検挙件数・人員は158件・462人で、被疑者の国籍・地域別では中国人が65件・133人、次いでフィリピン人が15件・27人とのこと(日本人は52件・250人)。これは氷山の一角にすぎず、実際は何倍もの偽装結婚が横行しているものと思われます。

あくまでも「偽装」なので、書類上婚姻関係を結んでいる男女の間に愛が芽生えるはずがありません。なにしろ、外国人は日本での生活を確保するための資格を取得できればほかのことはどうでもいいと考えていて、その配偶者となる日本人(ほとんどが男性)はその多くが多重債務者で報酬を得るために(20万円~200万円程度)半ば強制的に外国人との偽装結婚を斡旋されるわけですから。特に、在留資格と就労資格を取得するために偽装結婚した外国人にとってはその本来の目的が破綻してし、また呼び寄せられることを期待して本国で待っている家族からしてみれば一族の裏切り者と目されて千年先も消えない恨みを買うことでしょう。どのみち、やり遂げたとしても情が移ったとしても犯罪行為には変わりないので、検挙されて強制送還されてしかるべきです。ただ、愛が芽生えたとしてブローカーや反社会的組織が背後から監視していることを考えれば、まっとうに生きる決意をふたりで交わしたとしても、これほど辛い愛はないんじゃないかと思います。ふたりして自首して裁きを受け、禊の期間を乗り越えてから再会して永遠の愛を誓うなんていうエピソードが実際にあったらいいのですが。

この映画、というか、ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督作品におしなべて言えることですが、主人公の感情の変化を知らしめる回想シーンも場を盛り上げるBGMもなく、淡々とドキュメンタリータッチに進んでいくため、物事の経緯や行く末が多分にぼかされており、どうしても「感性」に頼らざるをえなくなります。主人公のロルナがヤク中の青年クローディと偽装結婚することでベルギー国籍を取得し、その報酬で同郷の恋人と一緒に店を開くという筋はわかりました。でも、ロルナはクローディが死んだ後、今度はロシア人との偽装結婚をすることになります。はて、ロルナは一体どういった立ち位置なのでしょうか。何か弱みを握られて強制的にさせられているのか、それとも故郷の家族への仕送りのためか、はたまた実はプロの詐欺師で偽装結婚を繰り返して荒稼ぎしているのか。さすがに最後のはないと思いますが、真相はわかりません。だから、アウトローな関係の中で愛が芽生えるというのは話としては理解できますが、感動までには至らない。繰り返しますが、ロルナが女性らしい本能で寄る辺のない無力なクローディを愛するようになったことはわかります。僕が感動できなかったというのは、ロルナがクローディへの愛と同時に、自分がしてきたことの罪を罪だと告白しなかったこと。身ごもった子を産み育てていくことが贖罪になるんだったら、どんなに凶悪な犯罪者でも天使に見えてしまいます。

でも、映画だからこれでいいのでしょう。ただ、無法者の論理や行動を「感性」というフィルターで覗くと美しいものに見える、という安直な感想を持つことは、最終的に社会を崩壊させることにつながるような気がしてなりません。


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