ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ
(1998年 / イギリス)舞台はロンドンの下町。カード・プレーに自身満々のエディは、友人3人を巻き込み、ギャングの顔役ハリーを相手にひと儲けしようと企むが、逆に借金を作り、脅迫される身となる。そこでエディの父や麻薬王、マリファナ栽培に精を出す上流階級のお坊ちゃんらが複雑に絡んで、事態は思いもかけないバイオレントな大騒動に発展する。
ドタバタ劇に歴史を見る
ある日突然、まったくの一文無しとなってしまい、生活の見通しが立てられなくなったらどうするか、考えてみました。まずお金がないことにはどうすることもできないので、なんとかしてお金を工面する手段を講じるでしょう。衣食住、人間が普通の生活をしていくのに最低限必要なものですが、これらを確保するためには当然ながらお金が必要だからです。その中でも、「食」はもっとも重要な要素であり、何らかの栄養を摂取し続けない限り、そもそも生きていくことはできません。人間は水だけでも1ヶ月程度は生きていけるとのことですが、公園の水飲み場の水だけでいつまでも健康を保っていられるわけがありません。普通に生活していてもバランスの取れた栄養を摂取することは難しいとは言え、それでも穀物や肉、野菜、魚介類などを食べない限り体力を保持することはできず、やがて生命の終焉を迎えるということでしょう。したがって、一文無しとなったら、まずどうやって食を調達するかを考えると思います。着る物や住むところは持ち合わせでなんとかなる反面、食は消費したら(食べたら)なくなるものだからです。
でも、どうやってお金を払わずに食を調達できるでしょうか。真っ先に思いつくのが、自給自足の生活をすること。つまり、自宅の庭で野菜を栽培したり、家畜を飼育したり、または川や海に行って魚釣りをして食べ物を獲得することなどです。でも、これは現実的ではないでしょう。もともと農家や畜産を営んでいるのであれば話は別ですが、いきなり今日から始めるのは場所の問題をクリアしないといけない上、収穫できるまで相当時間がかかってしまいます。こう考えてみると、釣りをするほうがまだ可能性があるように思えますが、食べられる獲物をゲットするにはそれなりの道具や技術が必要となってくるので、一朝一夕に飢えを克服することは難しいと言わざるを得ません。一文無しになって焦っているときは、とにかく目に見える形での物理的な安心感を欲しているわけで、セーフティネットのことなど考え及ばないことが多く、本来であれば失業給付を受ける、求職者支援制度を利用する、生活保護を申請するなど、公共の救済手段に頼ることが確実と言えるでしょう。そうでなければ、物乞いをする、ゴミ箱を漁る、ブラックな仕事に手を染めることくらいしか残されていないのかもしれません。
この映画は、突然一文無しとなったというのではなく、ギャンブルに負けて到底支払えない巨額の負債を負ってしまったというシチュエーション。どうしてもお金そのものを工面しなければならなくなったので、状況としては似ていると言えるでしょう。でも、ただ単純に、大金を手に入れるため奔走するというストーリーではなく、古い散弾銃を盗もうとする一味と、麻薬の売人たち、子連れのヒットマンも入り乱れて、かなりのドタバタ劇を繰り広げます。最終的に「最後に笑うのは誰か」という流れで、各々の思惑が交錯しハイテンポに描かれていく過程を採り、結局お金ってなんだったんだというラストを迎えます。これらの登場人物たちは、いわゆる「ヤバイ業界」に身を置く人たちなので、警察という公権力に訴えるということはせず、自分たちの力で目的とするものを手に入れようとします。まさに欧州列強が繰り広げた植民地争奪戦にほかなりません。だから、自分たちでゲットしたものからは、しゃぶり尽くす(搾取する)ことしか考えてないのです。
ストーリー展開的には面白いです。彼らは関係している向こう側の存在を必ずしも認識しているわけでなく、偶発的要素に流される感じで翻弄されていくのですから。でも、こういったシチュエーションが現実に起きたとしたら。唐突に発生したお金、ひいては食の問題を解決するために、誰もが冷静になれず血で血を洗うような殺伐とした果し合いが繰り広げられるのではないかと考えてしまいます。まさに、ブラックな仕事に手を染めるということ。こうしてみると、食を確保するために連綿と続けられてきた人間の歴史は繰り返すのだなと思ってしまいます。