ギター弾きの恋
(1999年 / アメリカ)1930年代、ジャズ全盛期のシカゴ。ジプシージャズの天才ギタリストのエメット・レイは、崇拝するギタリストジャンゴ・ラインハルトの演奏が世界一で、自分は2番目に天才だと信じている。彼はニュージャージー州の海辺で友人との賭けに負け、仕方なくナンパした小柄で口のきけない女性ハッティと付き合うようになる。
ギターに目覚めた動機こそ達人への近道
中高生のうら若き青年がギターを始める理由ってなんでしょうか。音楽を通して若者特有の複雑な自己を表現したいから、溢れ出る無秩序で爆発的な感情を五線譜にぶつけたいから、バイクではなくステージで爆音を轟かせて自己顕示欲を示したいから、などいろいろ考えられると思います。有り体に言ってしまえば、動機の根底にはあるのは「若者特有のやるせない感情の発露」であり、言葉に乗せてしまうと企業面接向けの受け答え的なのはいくらでもつくれますが、とどのつまり「異性にモテたい」。このひと言に尽きるのではと思います。もちろん、全員そうでないことは承知しています。ここでは条件として、小さい頃から情操教育として習っていたり、親が愛好家でつねに身近に楽器に親しんでいたりする人は除きます。そういう人は、オーケストラ(楽団)や職業ギタリストといった、割りと正統派な路線を志向するパターンが多いのではないかと思います。僕がいまここで対象としているのは、あくまでも中高生で何かに目覚めたかのように、何の脈絡もなく突発的にギターを始める人のこと。表向きの理由としては、友だちに強引に誘われて始めたらもめりこんでしまった、テレビドラマやアニメの影響、カリスマ的ギタリストに神性を見出したとか、いろいろあるでしょうが、「異性にモテたい」、結局これですよね。
信頼できるデータかどうかはわかりませんが、ギターを始めたきっかけは何かでアンケートを取ったところ、50%以上が「モテたいから」と答えたという統計もあります(ちなみに、やめた理由は「モテなかったから」)。ネットで見つけた統計なのでどこまで本気かはわかりませんが、あながち的はずれでない気がするのは僕だけではないはず。というもの、僕が学生時代にギターを始めた理由も「モテたい」からだったからです。僕の場合は、ストレートに女の子にモテたいというより、そもそも孤独で誰かに気づいていもらいたいというシチュエーションでしたが、それでもかなり燃えました。こうした不純な動機(若者からしたら本能的な動機と言えましょうが)から始めたものは長続きしないものという定説はたしかに的を得てはいますが、若者だからこそのめり込んでものすごいパワーを発動するというケースもまた事実です。だから、女の子に振り向いてもらうためにギターを始めたら、いつの間にかバンドの一員になっていてがむしゃらに活動を続けていたら、いつしかその表現力が評価されてメジャーデビューを果たしていた、なんていうケースは珍しくないのではないかと思います。僕は1年半くらいでピタリとやめてしまいましたが、その理由は、誰かに(特に異性に)聴いてもらうためではなく自己欺瞞のためだったのことに気づいて冷めてしまったから。単に大きな音を出すことが自己表現の発露だと勘違いしていたことに気づいたからと言い換えることもできると思います。
この映画の主人公エメットは、誰にも真似できないくらいの超絶テクニックを持つギタリスト。どのような経緯でギターを引くようになったかの描写はありませんでしたが、ものすごい努力家なのか、それとも神に選ばれし天才なのか、とにかく彼の紡ぎだすギターの音色は聴く人を魅了します。時に激しく、時に軽快に、時にしっとりと。その技量は誰もが認めるところで、ギターの神様と呼ばれてもいいくらい。ステージの上では神様でも、一歩外に出れば神を冒涜せんばかりの傍若無人ぶり。遊び呆けて金目の物に目がなく借金だらけで、ナンパに血道を上げる日々。そんな彼にも怖いものがあり、彼がまさに神として崇めるジャンゴ・ラインハルト。ジャンゴがステージに来ていると聞いただけで恐れおののき、演奏から逃げ出してしまうほどです。さて、彼のギタープレイの源は何なのでしょうか。「カネを稼ぎたい」「カッコイイ車に乗りたい」「可愛い女の子をナンパしたい」。そのどれも当てはまると思いますし、結果論ではありますが彼をギターの達人たらしめるにはこうした中高生のようなギラギラした“不純さ”というのが正当化されうるのでしょう。それに、もうひとつ考えられるのは、「ジャンゴに認められたい」という願望。誰かに認められたい、承認欲求というのは、その背後にこうした“不純さ”が混じり込んでいるのかもしれません。
最近になって僕は十何年ぶりにギターを再開しました。なんとなく、いまのうちにギターをやっておかないともう手に取ることはないだろうという、出処の知れない軽い強迫観念から再会したわけですが、もしかしたら僕自身気づかないうちに不純な動機を抱え込んでいたからなのかもしれません。その“不純さ”とはいったい何なのか。ある程度弾けるようになってきたら判明するのではないかと、密かに胸を期待で滲ませている自分がいます。