サイダーハウス・ルール

(1999年 / アメリカ)

メイン州ニューイングランドの孤児院で生まれ育った青年ホーマーは、父親のような存在のラーチ医師のもとで医術を学び、孤児院で望まない妊娠をした女性たちの出産、あるいは中絶手術を手伝い、医師同等の技術と知識を身に付けていた。

思春期を乗り越える意味

サイダーハウス・ルール

ドラマや小説、歌の歌詞などで少年を描く際、何かに縛られて不自由を感じている、古い慣習に息苦しさを感じている、既存の概念を押し付けてくる大人に対抗心を抱く、といった感じで描かれることが多いと思います。少年、だいたい中高生くらいの年代を指すと思いますが、こうした場合、「社会の不条理に対する義憤」「大人が決めた間違ったルールを正す闘争」「何も変えようとしない後ろ向きな姿勢への糾弾」というニュアンスを下地にしている印象もあります。つまり、大人は腐敗した悪であり、少年はそれを打倒する正義だと。わかる話です。少年ならまだ分別が身についておらず、ストレートな感情を武器に、自分が悪と感じた不愉快な相手に対して挑んでいく。もしそれが誤りでも若気の至りで許されてしまいます。もしこれが大人、社会人だったら、自分が犯した結果について責任を取らなければなりません。少年なら「バトル(少年誌的な意味の)」で済みますが、大人だったら「戦争」になってしまうといったところでしょう。

こんなふうに書くと、少年はつねに何かに対してフラストレーションを溜めている通り魔予備軍みたいに捉えられてしまいそうですが、誰もがそうというわけではありません。胸のうちの不満足をどうすることもできず周りに暴力を振るうのもいる一方、スポーツや芸術に全身全霊を注いだり精力的に異性を追いかけたりするのもいるわけです。集団生活するうえで危険な存在になるか、自己PRが誇大でも社交的で行動的な存在になるか、あるいはまったく自意識が高ぶらず無害な存在になるか、と大きく3つにタイプ分けできるかと思います。あくまでも大雑把な分類なので全般的とは言えないです。たとえば僕の場合、自意識が最高潮にまで高まりながらもどこにぶつけていいか見つからず、発火寸前の爆弾を抱えているような状態で日々悶々としていました。これは最初に挙げたパターンの傍流だと思いますが、もしかしたらこのパターンがいちばん多いのかもしれません。

こういうのを「思春期」と言いますね。第二次性徴をきっかけとして始まる心身ともに不安定な時期のことを指し、傾向として、自分の変化に戸惑う、親と距離と置きたがる、異性への関心が高まる、新しい価値観の獲得、本質への関心が高まるなどが挙げられます。これらはよく言われていることだし誰もが通過することなので深く認知されていることと思いますが、大事なことは、「思春期は自立期であり、自分で考えて判断し、行動できるようになる時期」であるということ。自我の芽生えとか自意識の高ぶりなどと言い換えられたりもし、強烈なエゴで周りの保護から脱しようと試みるのです。そのため、極端な考えになりやすく、周りとの摩擦を生みます。その摩擦を解消できなかったり抑えつけられたりすると反発が生まれ、反抗期というレッテルが貼られます。思春期は、確立した自分の意見を発信しだす時期なので、それを言下に否定されたり無視されると当然反発が起き、度重なると暴発します。相手にされなかった屈辱はもちろん、理解してもらえる人が周りにいないという不安は底知れず、さらに極端な思想を深めてしまいます。僕なんか毎日空想の世界に入り浸っていました。

思春期は青春期の前触れであるとかいう説もわからないではないですが、僕は思春期こそ初めてぶつかる人生の壁であり、苦闘して乗り越えるものであれこそすれど、決してバラ色のプチ青春期ではないと思います。いまの環境に不満があるなら外の世界を体験して、未知の環境で自分を試してみる。ダメだと気づいた時点で元に戻ればいい。それが許される時期だと思うし、そうしないことには人間的な成長など絶対に望めません。ただ、何度も言いますが、ひとりではできません。周りの理解が必要。その時点で当人はそうした理解に気づくことはないですが、失敗したとき初めて気づき自戒するのです。戻ってきた彼は、ひと回りもふた回りも大きくなっているでしょう。こうした闘争をしている少年は正義とは言いがたいですが、必死で自分探しをしている求道者とは言えるでしょう。ところで、いまだに思春期の軛から脱しきれていない僕みたいな大人もいるわけですが、それはいまは考えないでおきます。


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