ハート・ロッカー

(2008年 / アメリカ)

004年夏。イラク・バグダッド郊外。爆発物処理に従事する米陸軍のブラボー中隊に、ジェームズという新たな班長が赴任してくる。この危険極まりない任務を遂行するには、爆弾の解除を実行する班長とサポート役の兵士とのチームワークが必要不可欠。しかし、ジェームズはことごとく作業上のルールを無視し、部下のサンボーンとエルドリッジを恐怖と不安のどん底に陥れていく。

戦場の緊迫感と恐怖を一身に受ける男たち

僕は風船が怖くてたまりません。空高く浮かんでいるのはいいんです。細長い尻尾を付けた楕円形が優雅に風に揺られながら、ゆらゆらと宇宙に吸い込まれるように天を目指して上昇していっている姿を見る分には問題ないんです。むしろ、そういう時の風船は好きです。のらりくらりと風まかせに舞っているのがとても楽しげで、それでいて羨ましくもあって、気がついたら消えて見えなくなるまで見つめていたりします。そう、空高く浮かんでいて、地上にない風船は怖くありません。怖いのは、地上、それも僕の目線かそれ以下にある風船です。で、さらに恐怖を増幅させるのは、その風船を小さな子供が手にしているというシチュエーションです。

突然鳴り響く大音声には誰だってそうでしょうけど、僕は特に不快感を抱きます。トラックの甲高いクラクションや列車の警笛など、安全上の警告であることがわかっているものに関しても、突然鳴らされるとビクッと体が跳ね上がるほど驚愕し、その直後全身の血が引いていくかのような悪寒を感じます。それと同時に、煮えたぎるような嫌悪感が生じてきて誰かれ構わず激しく罵倒してくなってきます。これは普段、僕ができるだけ自分の世界という無音状態の中だけで生きていこうとしているところ、横から攻撃的な妨害をされたと錯覚しているのだと自ら分析していますが、その正否はともかく、僕は自分の周囲で大きな音をたてられるのが何よりも嫌いなのです。だから、僕の近くで、小さな子供が風船を弄んでいることほど怖ろしいことはないのです。

さて、この映画は、戦場での爆発物処理班を描いた作品です。不発弾や車に仕掛けられた爆弾、さらには人間の体に巻かれた爆弾など、起爆すれば自身のみならず隊員すべての命に関わる解体作業を行う男たちを主人公に描かれています。ほんの一瞬の気の緩みが部隊の全滅を招く可能性があるため、作業中は常人以上の集中力が求められどんな雑念も許されません。さらに、爆弾は改造に改造を加えられていることもあり、マニュアル通りの手順では対応できないことがほとんどで、瞬時のひらめきと職人としての勘も必要とされるのです。ドラマでよくある、ヤマ勘を頼りに赤か青かの導線をペンチで切り、ラスト2秒で爆発を阻止するなんてことはあり得ません。しかし、そんなプロフェッショナルの彼らでも解体できないケースも多々あります。爆弾を解除できればひとりの命を救うことができるのに、激しい悔恨とともに諦めなければならないこともあるのです。

風船を手にした子供がこちらに近づいてくると、条件反射的に全身の筋肉がこわばり耳がカッと熱くなります。こっちに来るな、あっち行け、風船は親に預けろよ、間違っても潰そうなんて考えるなよ、ちゃんと持ってろよ、落として踏むなよ……。イベントやお祭りの会場でこういったシチュエーションに遭遇するたび、僕は平静を装っていてもどこかに隠れたくなってしまう衝動で神経は限界以上に過敏になります。そして、無事、何事もなく子供が通り過ぎ向こうへ行った時の安堵と言ったらありません。深い深い安らぎの溜息とともに得も言われぬ開放感。やり抜けた。あまりに気持ちが大きくなって、飲めもしないビールを一気飲みしたい気分になります。そんな時、向こうからポンッと風船が破裂する音。その現場では僕のような風船恐怖症の誰かが犠牲になったはずだ。人ごとではない。一度弛緩した肉体が再び緊迫感に包まれることほど体に負担がかかることはありません。たちまち気分が萎みます。本当の戦場とは比べものにならないことはわかっていますが、僕にとってイベント会場とはトラップまみれの戦場であることに違いありません。


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