マネーボール

(2011年 / アメリカ)

選手からフロントに転身し、若くしてメジャーリーグ球団アスレチックスのゼネラルマネージャーとなったビリー・ビーンは、自分のチームの試合も観なければ、腹が立てば人やモノに当たり散らす短気で風変わりな男。ある時、ビリーは、イエール大学経済学部卒のピーターと出会い、彼が主張するデータ重視の運営論に、貧乏球団が勝つための突破口を見出す。

どん底から這い上がるための気構えとは

いまとなってはすっかり関心を失ってしまったのですが、僕は学生時代、熱狂的なプロ野球ファンでした。好きな球団は読売巨人軍で、テレビ中継での観戦は欠かさなかったのはもちろんのこと、延長戦になってテレビ中継が終わってもラジオをつけて戦況に一喜一憂するという熱の入れよう。さすがに全試合というわけではありませんでしたが、オープン戦含め、ペナントレース開幕から終盤にかけて、テレビ中継があれば必ずチャンネルを合わせたものです。途中経過をチェックして「勝ってる」と高揚したり、「ちょっとまずいな」と緊張を高めたり、「なんだ今日は負けだな」とブルーになったり。巨人の試合結果次第で次の日の気分が変わる、なんていう過激派の同級生がいましたが、僕はそこまでではないにせよ、大差で勝つと心が晴れ、僅差で負けると思い返しては舌打ちし、大負けした日には文字通り地団駄踏んでました。打線につながりがなかったとか、継投にバランスを欠いたとか、監督の采配が稚拙だったとか、専門家的な分析は度外視して、とにかく勝ったか負けたかの結果がすべてでした。

さすがに小学生から中学、高校になっていくうち、負けた試合でも、これまで振るわなかった選手が復活の兆しを見せた、先発投手は散々だったけど中継ぎは完璧だった、ドラフトの目玉が一軍でやっていける結果を残したという見方ができるようになりました。そうなってくると、断然野球観戦が面白くなり、たとえ大差で不利な状況だったとしても、どういうふうに継投していくのか、どういうふうに打線を変えてくるのかが断片的に読めてきて、少なくとも速攻でチャンネルを変えることはなくなりました。僕はサッカーをしていたのですが、実際プレーするのと観戦しているのとではまったく違うことを肌で知っていたため、それまで巨人が勝った負けたかだけが野球の醍醐味でしたが、もっと視野を広め鳥瞰的に分析しながら観るという面白味を知ったのもこの頃でした。

ところで、いまはどうかよく把握していませんが、僕が熱心なプロ野球ファンだった頃は、巨人は常勝軍団で金満球団。他球団の有力選手がFAでぞろぞろ入ってきて、その投手力と打線を見渡せば、どう考えても優勝できないはずがない。それに加え、伝統があり、誰もが憧れる球団だけに、高年俸目当てで移籍を望む選手ばかりではなかったことでしょう。そんな巨人でも優勝できないシーズンがある。おかしくないでしょうか。松井、清原、落合、広沢、石井(浩)レベルの選手がラインナップを独占しているのに、それでも優勝できない。原因はわかりません。いやしかし、巨人が優勝できないことよりもっと不可解なことが起きました。それが、ロッテと横浜の日本一獲得。「あの」万年最下位だった両球団が、昇竜のごとくペナントレースを駆け上がり、竜巻のような破壊力で日本シリーズを勝ち取ってしまった。勝てるはずの球団が勝てず、勝てるはずのない球団が勝った。これほど不可解なことがあるでしょうか。

おそらく、この映画ではその答えのひとつが描かれていると思います。球団側の運営改善、マネジメント陣の刷新、選手たちの覚醒、いろいろ要因は考えられますが、どの球団も同じようなことを考えて優勝を狙っている中で、どうして万年最下位の球団がひとつ頭抜き出ることができたのか。特定することは難しいです。ただ、ここでひとつ言えることは、弱小チームを甲子園出場に導く熱血野球漫画みたいに、葛藤、対立、和解、意識改革があったのはもちろんのこと、「自覚」が大きなウェイトを占めているということ。誰が何に対して自覚するのか。巨人が気づくことなく、ロッテや横浜が気づいたこと。人生についてよく言えることですが、スポーツの世界での成功も同じ。この映画では、主人公ビリーがした若い頃の選択がカギとなっています。それを自覚した上で、自分が客観的にどう思われているのか描かれるシーンも重要。スポーツ映画というより、人生論的な映画だと思いました。


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