レッド・バロン
(2008年 / ドイツ)貴族階級の軍人の子としてこの世に生まれ、若くして戦闘機乗りとしての類い希な才能を開花させたリヒトホーフェン。自軍を悩ますイギリス軍のエース・パイロットを撃墜し、軍人最高の栄誉であるプール・ル・メリット勲章を授かった彼は、“レッド・バロン”の異名をヨーロッパ全土に轟かせていく。
戦闘機は悪魔か憧れか
戦闘機が主役の映画で真っ先に思い出すのは、やはり「トップガン」ですね。最新鋭の(と言っても1980年代ですけど)戦闘機が高高度かつ超音速飛行で敵とのドッグファイトを繰り広げる映像は、そのリアルな迫力と格好良さに小学生だった僕はすっかり憧れてしまったものです。男は大概乗り物好きではあり、子供は特にスピードが出るものに強く惹かれる傾向が強く、新幹線やスーパーカーなどが大人気となるのですが、未知の大空を自在に飛び進んでいける飛行機、さらには超音速飛行で海や山を超えてぶっ飛ばせる戦闘機に心奪われるのは当然のことかもしれません。そうした経緯もあって、僕は小さい頃からパイロットになりたいという夢を持っていました。ですが、大人になって飛行機に乗る機会が年に何回かできるようになるとやっぱり乗っているほうが楽だなと思ってしまうし、戦闘機を操縦するなんて自分が飛ぶより先に意識が飛んでしまいそうで怖いななんて尻込みしてしまう時点で、あれは単なる子供特有の好奇心だったんだということに思い至るわけです。
それでも、セスナのような単座の飛行機には操縦できるようになってみたいなと思うことがあります。あと、クラシカルなプロペラ機も。でも、ヘリコプターは何か違うなという直感があり、垂直離発着できる乗り物ではなく、滑走路を滑走してノーズを持ち上げて離陸するという、戦闘機や旅客機のようなスタイルじゃないとそもそも飛行機と言えないような気もしています。特に根拠はありませんが。
さて、この映画は第一次世界大戦期におけるドイツ軍のエースパイロットの物語。この当時の戦争で使用された飛行機は最初のうちは偵察機として用いられていましたが、空からの攻撃の有効性が評価され、次第に機関銃を装備した戦闘機として活用されるようになり、その流れで爆撃機や雷撃機も誕生しました。飛行機同士による大規模な空中戦が行われるようになったものこの頃です。陸や海だけでなく空でも戦場が生まれると、必ず英雄(撃墜王)が出てきます。それがこの映画の主人公リヒトホーフェン(ドイツ)、ルネ・フォンク(フランス)、ウィリアム・ビショップ(イギリス)らです。
では、第一次世界大戦当時の戦闘機とはいかなるものだったかというと、もともと偵察用だった飛行機を戦闘向きにしたものばかりで、基本的に複葉のプロペラ機でした。そう、現代に生きる僕らがクラシカルで愛玩的な飛行機と見なしてしまうタイプの飛行機です。そんな哀愁あふれる飛行機が群れをなして戦闘をしている様子は、なぜか破壊的に見えずロマンさえ感じてしまうから不思議です(不謹慎とも言うかも)。というのも、実際の映像で戦闘機による空中戦を見たのは第二次世界大戦以降のものだけなので、どうしてもトップガン的な単葉で攻撃性の高い飛行機同士による破壊のイメージしかありません。だからもし、僕が第一次世界大戦時に子供だったとして、その頃の最新鋭である模型のような複葉プロペラ機を見たとしても、カッコいいとは思いこそすれ憧れには至らなかったように思います。それでも憧れを感じられるとすれば、敵機を何機撃墜したかではなく、どれだけ速く長時間飛んでいられるかがポイントになるのではないかという気がします。