アンノウン

(2011年 / アメリカ)

交通事故に遭い、意識を取り戻したマーティン・ハリス博士が目にしたのは、自分を忘れてしまった妻と自分になりすました別の男だった─!

男心に男が惚れる

男性が女性に惹かれる理由、女性が男性に惹かれる理由はさまざまあると思いますが、端的に言ってしまうと「異性だから」に落ち着くと思います。別に同性愛者を否定しているわけではありませんが、やはり人間のみならず他の生物でも男女の区別はあり、それぞれが交わって子孫を残していかねばならない宿命を背負っていることを考えると、性的魅力が前提に立たないと惹かれるものも惹かれないと言えるのではないでしょうか。もちろん、あの人はルックスはいいが傲慢だから嫌い、あの子は美人だけど鼻持ちならないから避けたい、逆に外見はそこそこだけど人望があり社会的地位も高いなど、外見的性格的社会的なステータスによって好みは分かれます。でも、交際相手に対する自分の要求が両性に向けられていることはまずないはずです。男性だったら優しく気立ての良く髪の毛がきれいな「女性」がいい、女性だったら頭脳明晰で責任感が強く筋骨隆々な「男性」がいい、という具合に、無意識のうちに選別した異性を求めているはずです。通勤や買物などで街を歩いているとわかりますが、おしゃれなスーツでビシっと決めている男性、流行のファッションと香水を身にまとった女性、彼らは仕事上そうしていることも事情としてありますが、やはり異性へのアプローチが根底にあることに気づかされます。はい、僕もそうです。

なにもわかりきったことをわざわざ理屈っぽく語る意味はないのですが、異性愛者にとって同性は恋愛の対象にはならないけど、憧れを抱くことはよくあることだと言いたいです。たとえば、銀行の外交員としてバリバリ仕事をこなす父に憧れて営業マンになった男性、なでしこジャパンのストライカーに憧れてサッカーを始めた女性というような話はよく聞きますね。幼稚園くらいから大学生くらいまで、社会に対する漠然としたイメージしか持っていない人にとって、身近な人あるいはメディアを通して活躍している人に接することで、自分自身を重ね合わせて理想の人物像をつくりあげていくことは、実に一般的な人格形成過程のひとつ。僕にもその傾向は小さい頃からいまに至るまであります。惹かれるのは対象となる人のすべてというわけではないですが、その人の仕草、口調、立居振舞、服装など部分的に真似てなりきってみることはよくあります。特に、テレビで時代劇を観ているとき、主君のために命を投げ打って仇を果たすシーンなんかを目にすると、熱い感情が湧き上がってきてしまいます。日本人だから侍の子孫だからという理屈ではなく、単純に男の生き方として憧れてしまうんですね。

こうしたわけで、僕はこの映画の主演であるリーアム・ニーソンに強く惹かれています。見た目が渋くてカッコいいというシンプルな理由もあるのですが、戦闘力が圧倒的に高いうえにチームメイトから慕われるリーダーシップもあり、それでいてつねに愛に飢えているところですかね。彼が出演しているどの映画を観ても同じようなキャラクターなので、銀幕で彼を見るたびに惹かれる気持ちは強くなっていきますし、もし僕が女性だったら彼のような男性に恋慕を感じるのではと思ってしまうほどです。もちろん映画の中での人格なので、彼自身がどのような人物なのかはわかりませんし、スタローンとかイーストウッドとか似たようなキャラは他にもいます。でも、僕の直感として彼に憧れていることに間違いありません。メチャメチャな物理的パワーを持ち合わせているので毎回ハッピーエンドで終わることはわかっているのですが、それでも映画と彼から目が離せないのが、彼が始終見せる心の迷いとか不安が非常にリアルに伝わってくるからです。同じ思いを抱くファンも多いのではないでしょうか。また、彼はつねに孤独と戦っている。それゆえ単独で強行突破して敵を叩きのめすというパターンが多く、さすがに現実離れしているとは感じますが、だからこそのヒーロー性にますます惹かれていくのではないかと考えています。もしかしたら、こういうのも同性に感じる性的魅力なのかもしれません。

リーアム・ニーソンにような男性になれるかどうかはさておき、彼が主演する映画に出合うことで、僕自身を見つめ直すいい機会になってはいると思います。


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