カテゴリー別アーカイブ: ドラマ

マグノリア

いつもはうまくいっていたこと、あるいはいつもだったら気にもかけないほど普通にできていたことが、ある時なんらかの理由でできなくなってしまったら、誰だってパニックに陥ります。それは、いつもは冷静だとか完璧主義者だと言われている人にこそ顕著で、普段は物静かで言動で目立つことはないのに、突然顔が上気して金切り声を上げたりデスクを拳でドンドン叩いたりするという場面というのは往々にして遭遇するものではないかと...[続きを読む]

息子のまなざし

絶対に許せない相手であるのに我が子のように慈しみ育てる。そんなこと聖人でもない限り、無理に決まっています。何も替えられない大切なものを奪った相手、何不自由なく幸せだった生活を踏みつぶした相手、順風満帆だった人生を奈落の底に突き落とした相手。憎しみや報復の対象とするのが当然であり、そうした激情はいかにそれまで穏やかな生活を送ってきた人であっても共通のものであり、何人からも責められるものでもないはずで...[続きを読む]

画家と庭師とカンパーニュ

高校2年の時に同じクラスになって知り合った友人がいました。友人と言っても、仲が良かったグループに偶然居合わせたといった感じの存在で、僕自身は他の友人とはよくしゃべっていたものの、その彼A君とはそれほど親近感を感じることはありませんでした。特にウマが合わないとか近づきがたい雰囲気があったというわけではなかったのですが、なんとなく直感的に気を許せない何かを感じていました。そんなわけで、A君と行動を共に...[続きを読む]

ル・アーヴルの靴みがき

簡単にストーリーを紹介してしまうと、靴磨きの老人マルセルがアフリカからの密航者イドリッサを自宅に匿って目的地のロンドンに送る手助けをするという話です。本来であれば、マルセルが取った行為は密航者を隠匿する犯罪行為であり、描き方次第で切迫感あふれるクライムサスペンスになるところですが、この映画にはそうしたダークな面は一切ありません。むしろ、舞台となった北仏ル・アーヴルに降り注ぐやわらかい陽光のように暖...[続きを読む]

ぼくの大切なともだち

もうそんな年齡じゃないけど、たとえば僕が誕生日会やクリスマスパーティーを主催するとしたら、いったい誰を招待するのだろうと考えてみました。正直言って、ものすごく悩んでしまいました。これが友だち付き合いのいい人だったら、たくさんいる友だちの中から誰を呼ぼうか悩むのでしょうけど、僕の場合はその反対です。誰を呼んだら快く承諾してくれるのか深く思案するからではなく、そもそも個人的な集まりに打算抜きで呼べる友...[続きを読む]

八月の鯨

テレビドラマや映画などに登場する頑固じいさんが「頑固」であることを証明するセリフとして「死んでも死にきれん!」というのがよくあります。死にきれないと思う動機はさまざまですが、人生のライフワークとしてきた何かをやり遂げられなかったら末代までの恥とか、自分の息子や娘たちが幸せな環境にないことを一家の家長としてなんとかしてあげたいという責任とかを感じるといった、自らの信念に反する無念からきていることは容...[続きを読む]

バグダッド・カフェ

行きつけのカフェを見つけることは人生における命題のようなものになっています。行きつけと言っても、ただ単に仕事の休憩時間とか帰宅する道すがらの短い時間にコーヒー1杯ひっかけるためだけの、暇つぶし、時間つぶし的に利用できる都合のいいカフェのことではありません。あうんの呼吸で意思疎通できる顔なじみの店主、利用客と一緒にゆったりとした時間を共有し、時折聞こえるカップとコースターが触れ合う乾いた音に心地よさ...[続きを読む]

フライト

この映画について、単なる航空機墜落パニックものではないことは知っていました。一歩間違えれば乗客乗員全員死亡という大惨事になりかねなかった状況の中で、英雄的な判断と操縦で被害を最小限に抑えたウィトカー機長をめぐって展開される、法廷での激しいやり取りがメインに描かれるのだろうと思っていました。しかし、この映画の主題はそのどちらでもなく、アルコール中毒と薬物依存に苛まれているウィトカーの内面をえぐり出す...[続きを読む]

海辺の家

使い続けてきた車を新しいものに替える、トレードマークだったメガネを替える、住み慣れた家を壊して新しく建て直す。こうした行動の裏にある意図というのは、心理学を駆使した分析を試みることはせずとも、容易に読み解くことができます。その想定しうる意図とは「これまでの自分自身から脱皮して新しい自分になりたい」ということ。専門家の診断を仰ぐまでもなく、ほぼ正解だと思います。以前までの自分を毛嫌いしていて心機一転...[続きを読む]

グラン・トリノ

アメリカに行って気づくことがあります。特に大都市で顕著なのですが、市内のファストフード店やカフェ、空港の売店などの販売員がかなりの確率でヒスパニック系や黒人だということです。初めてアメリカに行った時、本場のマクドナルドで食事するのをとても楽しみにしていて、映画俳優のような白人店員が「Hi!」と白い歯を見せてスマイルしてくれるのかと思っていましたが、カウンターで僕を待っていたのはスペイン語訛りの強い...[続きを読む]