カテゴリー別アーカイブ: さ行

SMOKE

大学生の頃、日記を付けていました。日記と言っても、毎日欠かさずその日あったことを記述していくスタイルではなく、特別思うことがあったり、書き留めておきたいことがあった時に綴るという程度だったので、本来の意味での日記ではなかったのかもしれません。でも、当時(いまでも)かなり内向的で疑心暗鬼に苛まれ続けていた僕にとって、書き殴ってはどんどん増えていくノートの数が慰めのように思えていたことは事実。初めこそ...[続きを読む]

主人公は僕だった

短編、長編に限らず、小説を書く際にしてはならないことがあります。それは、プロットを組み立てずに書き始めてしまうこと。プロットとは、簡単に言えば「物語の構成を示した設計図」のことで、人によっては詳細なあらすじと捉える場合もあります。もっと細かく定義すると、シーンごとに起きるイベントや登場人物同志のぶつかり合いの設定、起承転結または序破急(冒頭、ヤマ場、どんでん返し、結論)の明確化、文章に緩急をつける...[続きを読む]

ザ・シューター/極大射程

ひと言に銃といっても、さまざまな種類があることはよく知られたこと。日本に暮らしている以上、現実にそれらの区別ができるほど銃を目にする機会はほとんどないわけですが、そんな中でも一番認知度が高いのは、「拳銃」と呼ばれるもの。ピストルや短銃、ハンドガンなどと呼ばれることもあり、日本では警察官や特別な公務員だけが公に携帯することが許されています。海外では護身用として一般市民が所持することは珍しくないようで...[続きを読む]

セント・オブ・ウーマン/夢の香り

僕が初めて香水を付けるようになったのは、大学生になってから。特に体臭が気になるとかというわけではなく、なんとなく「カッコつけたかった」からです。それ以外にも、高校生だと不良みたいに思われこそすれ、大学生になれば逆に対人関係における身だしなみのひとつだと考えていたことにもよります。大学に入ってすぐ付けるようになったのではありませんが、周りの学生たちも付けてるから合わせるという経緯もあり、田舎者の僕に...[続きを読む]

スリーピー・ホロウ

そういえば、そろそろハロウィンですね。というか、「そろそろ」だなんて、日本の暦に定着したような言い方をしてしまいましたが、ハロウィンはバレンタインやクリスマスのように、日本の季節イベントのひとつとして組み込まれてしまった感があります。ただ、どうも僕には違和感が残ります。というのも、僕が小さい頃、バレンタインやクリスマスはすでにあったのですが、ハロウィンはここ数年で浸透してきたものなので、季節の風物...[続きを読む]

シティ・オブ・ゴッド

僕の親戚に、「ブラジルのおじさん」と呼ばれている人がいます。僕の立場からすると、祖父の弟なので大叔父に当たる人で、その名の通り、ブラジルに渡って永住しているからそう呼ばれているわけです。おじさんがいつ、どのような経緯でブラジルに渡ったのかは知りません。僕が彼の存在を知ったのも小学校中学年か高学年頃のことだったし、会ったのも日本に戻ってきた時に一度か二度くらいなので、仕事で赴任したのか移民として渡っ...[続きを読む]

センター・オブ・ジ・アース

「新しいことをしたい」「やってみたいことがある」「自分を変えたい」。これらは誰しもが思っていることであり、僕自身もその例にもれず常日頃考えていることであります。このように、一見ポジティブで前向きに人生を考えているように思えはしますが、実際胸の内は共通しているもの。それは「時間がないから」とか「仕事で忙しいから」とか「まだ時期じゃないから」とか、さまざまに理由をつけて「でも、ちょっと……」と留保をし...[続きを読む]

セブン・イヤーズ・イン・チベット

ヒマラヤ山脈の北側に広がる、平均海抜4,500mのチベット高原。「世界の屋根」と呼ばれるその高原地帯では、牧畜や農耕をなりわいとし、主に仏教を信仰するチベット人が600万人ほど暮らしています。そこには「チベット」という独立国家が存在していました。しかし、現在、国家としてのチベットは存在しません。1950年秋、成立間もない中華人民共和国は、チベット東部チャムド地区への攻撃を皮切りに、本格的な侵攻を開...[続きを読む]

シャイン

かつて追い求めて結局手にすることができなかった夢を自分の子供に託そうとすることは、子を持つ親にとって当然の心理なのだそうです。特に、子供の中に自分の姿を見てしまう場合、それが顕著になるとのこと。たしかに考えてみれば、自分が夢を追い求めている過程であの時こうしておけばよかったという後悔や反省は必ず持っているはずなので、いくらでも取り返しの利く子供に当時の自分自身を重ね合わせ、その子が本気かどうかにか...[続きを読む]

16ブロック

一度付いてしまったイメージが完全に固定してしまい、どんなに他の人格を演じたとしても払拭することができない俳優は、パッと思いついただけでも結構いるものです。僕が真っ先に思い浮かぶのは、故渥美清さん。もう芸名が「車寅次郎」だったとしてもまったく違和感のないほど、「渥美清=フーテンの寅さん」というイメージは絶対的。渥美さんが「男はつらいよ」以外に出演している作品をいくつか観ましたが、どこをどう見ても問答...[続きを読む]