ドライビングMissデイジー

心理学用語で「パーソナル・スペース」というものがあります。これはコミュニケーションをとる相手が自分に近づくことを許せる、自分の周囲の空間(心理的な縄張り)を意味します。一般に、親密な相手ほど狭く(ある程度近付いても不快さを感じない)、逆に敵視している相手に対しては広いという傾向があり、相手によっては(ストーカーなど)距離に関わらず視認できるだけで不快に感じるケースもあります。たとえば、あまり親しく...[続きを読む]

ロルナの祈り

偽装結婚とは、夫婦として共同生活をしている実態がないが配偶者がいることの利点を享受するために結婚することを言いますが、たいていブローカーを通して外国人が日本人とする偽りの結婚を指すことがほとんどです。形式的に言うと、日本へ出稼ぎに来る外国人が在留資格と就労資格を得る目的で、日本在住の日本人と婚姻生活の実態を伴わない書類上の結婚を計画的に行うこと。これは当然のこととして詐欺行為による犯罪で、電磁的公...[続きを読む]

ゲーテの恋 ~君に捧ぐ「若きウェルテルの悩み」~

「ひと思いに出かけてしまって、ほんとによかったと思っている。人間の心なんて、へんなものだね、君。ぼくがこれほどにも愛していて離れがたく思っていた君とわかれて、しかも朗らかにしていられるんだから。むろん君にはゆるしてもらえるだろうね」。この出だしからスタートする『若きウェルテルの悩み』は、1774年の初版以来、恋破れた青年の誰もが手に取り、そして誰もが共感した悲恋小説の古典として全世界で知られていま...[続きを読む]

この森で、天使はバスを降りた

この映画の主人公は、いちいちDVDパッケージのあらすじを読み返すまでもなく、パーシーという女性です。殺人を犯した罪で服役していた刑期を終えたパーシーが、メイン州の森の中にある田舎町ギリアドで人生の再出発をするところから物語は始まり、よそ者を警戒する町の人との触れ合いやぶつかり合いが描かれていきます。少女期からのトラウマにより対人的にぶっきらぼうでありながらも、それでいて人恋しさや愛情への渇望を次第...[続きを読む]

イゴールの約束

日本における不法滞在者の数は、法務省発表によると59,061人(2014年1月1日現在)。国籍・地域別に見ると、トップの韓国が14,233人で、中国(8,257人)、フィリピン(5,117人)、タイ(4,391人)、台湾(3,557人)と続きます。不法滞在は不法残留と不法入国に大別され、不法残留(日本の場合)とは上陸許可を受け在留資格を有していたが定められた在留期限満了後も出国せずに在留しているこ...[続きを読む]

サンザシの樹の下で

自宅にテレビがない僕でさえ、NHKで朝に放送されている「連続テレビ小説」が爆発的な人気を博しているという話題によく接します。最近で言うと2013年の「あまちゃん」でしょうか。宮藤官九郎脚本による軽妙なストーリー展開、主人公の能年玲奈をはじめとする個性的な俳優たち、耳馴染みのよいテーマ曲や挿入歌などが相乗して視聴率は平均で20%を超え、従来のターゲットであった主婦だけでなく若年層にも訴求したことが功...[続きを読む]

デビルズ・ダブル -ある影武者の物語-

一人っ子政策が敷かれている中国では、一人っ子ゆえの可愛さから過保護に育てられた子供のことを「小皇帝」と呼ばれているそうです。都市部の富裕層や中産階層に多く、改革開放後の消費社会で育った彼らは、親の愛情をたっぷりすぎるほど受け、「自主性に欠ける」「自己中心でわがまま」「思いやりがない」という負の人間性を克服する機会が与えられないまま大人になっていくとのこと。もちろん全員が全員そうではないですし、日本...[続きを読む]

砂漠でサーモン・フィッシング

もともとその地域にいなかったのに、人間の活動によって他の地域から入ってきた生物のことを「外来種」と呼びます。この外来種の定義ですが、日本国内のある地域からもともといなかった地域に持ち込まれた場合には適用せず海外から入ってきた生物に絞り、また渡り鳥、海流に乗って移動してくる魚や植物の種などは自然の力で移動するものなので外来種として見なさないとのことです。シロツメクサ、アメリカザリガニ、ブラックバスな...[続きを読む]

コッホ先生と僕らの革命

サッカー日本代表がいわゆる「ドーハの悲劇」で本戦出場を逃した、1994年のアメリカワールドカップ。日本代表が出場できなかった悔しさと無念は開幕と同時にすっかり忘れ、僕はJリーグやアジア地区予選で見ることのなかった世界レベルの選手のプレーに完全に魅了されてしまっていました。ロマーリオ、ドゥンガ、ロベルト・カルロス、ベベット、ロベルト・バッジョ、バティストゥータ、ベルカンプ、ダービッツ、ハジ、ストイチ...[続きを読む]

最高の人生の見つけ方

余命いくばくもないことを宣告されたとして、人生においてやり残したことをどこまで片付けられるか、いや、そもそも冥土の土産に何かパーッとやってやろうと思い立つことすらできるのかどうか、僕は疑問です。でも、たとえば、痛みや機能障害は何も感じないにもかかわらず3ヶ月後には眠るように息を引き取るという場合であれば、ちょっと考えるかもしれません。もちろん、医師から納得のいく病状の説明があり、僕自身それを受け入...[続きを読む]